浄土宗
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最終更新日

平成29年5月15日


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織田信長公賜開山貞安上人

閻魔法王自作霊像

身代釜敷地蔵尊

金銅多羅観音菩薩坐像

 

◎安養山 往生院 勝念寺と号する浄土宗知恩院末の寺院です。織田信長公が深く
 帰依した貞安上人によって天正15年(1587)に開創されました。

◎天正十年本能寺の変で信長は本能寺で、嫡男信忠は御池御所(烏丸二条)で自刃
 しました。正親町天皇の勅命により、信長、信忠父子の菩提を弔うため、貞安上人
 に信忠自刃の地である御池御所を賜り、信忠の法名に因んで大雲院という寺院を
 開創しました。同時に、時の天下人豊臣秀吉公の城下町である此処伏見丹波橋に
 布教の拠点とするべく一寺を開創し、勝念寺と号しました。

 
         
 閻魔法王自作霊像    身代釜敷地蔵尊    金銅多羅観音菩薩坐像
 

◎織田信長公より賜わった仏様が祀られています。

◎身代釜敷地蔵尊は、地獄で釜茹での責めに苦しんでいる人の身代りとなって、自ら煮えたぎった釜の中に入り、地獄と此の世で苦しむ人の苦を取り除き、幸せへと導いてくださるお地蔵さまです。
身代りとは「代受苦」「抜苦与楽」ともいい、他人の苦しみを抜き除いて楽にしてあげることです。古来どれだけ多くの母親が危篤のわが子の枕元で、自分の生命と引き換えでよいから、どうぞこの子を救って欲しいと神仏に祈ったことでしょう。まさに代受苦の願いです。
この母の心を我が心とされた仏様こそ、身代り釜敷地蔵尊です。「かましきさん」として江戸時代より信仰を集めています。

◎閻魔法王自作霊像は平清盛の頃、摂津の国の清澄寺の慈心坊尊恵が閻魔法王より自作の閻魔像を賜り翌日蘇生しこの像を掌中に握っていました。その後、伊勢大神宮の参詣の後、伊賀上野に立寄り十王堂に此の閻魔像を安置し勤行して往生しました。

数百年後、織田信長公が伊賀上野に鷹狩に来た時、この閻魔像を拝見し城中に安置し信仰し、その後、貞安上人が信長公より賜り勝念寺に安置しました。

此の像は、閻魔の真の心を伝えるため閻魔自身が松材にて慈悲の相に彫り、尊慧に授けたという、手に握れるほどの珍しい小像です。

◎多羅観音菩薩(金銅天竺仏坐像)は、多羅とは梵語で瞳を云い、苦しむ衆生のあまりの多さに観音菩薩が瞳から流した涙から多羅菩薩が生まれました。
女性の姿をして、ふくよかな胸を示し、苦しむ衆生を直ちに救済に行けるように右足を前に出しています。
多羅仏母、救度仏母とも言われ、お母様のように親しみやすく、小さな悩みごとも聞いて頂ける仏様です。戦国時代に異国よりもたらされた大変珍しい観音様です。


 
     
 門 前 碑  身代り蛙 萩振る舞い 
 

◎天明年間伏見奉行の悪政を幕府に直訴する計画に加わり獄死した、
 義民柴屋伊兵衛の両親と先祖の墓があります。

◎身代り蛙は、当寺に祀られている身代釜敷地蔵尊の「身代わり」の言葉より
 みがわり→かわる→かえる の語呂合わせで置かれています
 
近年 蛙の写真を撮りに遠くから来られます

◎最近境内に十数種、約百株の萩が植えられ、9月の萩の見頃には道行く人に
 自由に萩を見て頂くため、萩を振る舞う「萩振る舞い」として門を開放して
 います。

 

〒612-8319 京都府京都市伏見区石屋町521

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